田村薬草農場グループ

わたしたちの歩み

2024年12月18日

第2章 『甘草研究の端緒』

ー私は、決意した。この甘草で仕事をせねばならない。ー

 

モンゴルから帰国して、早速甘草について色々と調査を始めた。

 

まず、甘草は漢方薬の中でも使用例の多い生薬で、全処方の70%に入っている程メジャーなものであるとの事。主成分であるグリチルリチンがその甘さの源で、砂糖の150倍程と言われている。漢方薬の苦くて飲みにくいのを抑える狙いもあるらしい。実際舐めてみると、いかにもな薬の匂いと、猛烈な甘さが口の中に残る。猛烈な甘さとは表現したが、口に含んだ瞬間に甘さのピークが来る砂糖と異なり、尾を引くように甘さが残る、どこか上品な甘さに感じた。実際、調べてみると味噌・醤油や和菓子など、様々な場面で甘味料として用いられているようだ。

 

甘味料としての道も考えたが、何せ面白くは無い。甘味料であれば既に使われているし、他にも素材はある。正直、安い商売しか出来ないのだ。モンゴル人の彼も、それを望んではいまい。とりあえず、付き合いのあった生薬会社があったのでそこへ赴き、相談してみる事にした。

 

結果、

「田村さん、これは使えないよ。成分が大したこと無いんだもの」

とけんもほろろ。そう言われてしまっては私もとりつく島もないので、そうか、といって引き下がり、B君には甘草は無理だと言伝を頼んだ。

当時私は別な仕事で忙しかったのもあり、それきりで甘草の話は私の頭の中から雲散霧消してしまった。

 

しかし甘草は、私からそう簡単に離れる事はなかった。

 

ある日、東北大農学部のS先生から電話が入った。S先生とは彼の以前の職場からの長い付き合いで、これまで様々な場面で研究に協力してもらったり、彼の研究成果の発表を手伝ったりと、色々な事をしてきた間柄だ。

「田村さん、Tさんという方がお会いしたいと言う事なんですが」

「Tさん?聞いた事がない。何かの間違いではないですか?」

事実、私はTという名前の方に会った覚えは無かった。なかなか珍しい名前なので、そうそう人違いもあるまい。

「いや、間違いではないそうです。田村さんとはっきり仰っていました」

「そんな事を言われても…」

「何でも、モンゴルで甘草がどうとか…」

あっと思った。そしてまさかと思った。モンゴルへ行った際には、日本人は居なかったはず。それなのに私を探して、S先生に連絡を取る人物とは一体…

「なるほど、会ってみましょう」

「分かりました、連絡先を教えておきます」

 

程なくして、T氏から電話が掛かってきた。

「初めまして、私、モンゴルの会社の日本法人をやっております、Tと申します」

これで合点がいった。聞けば、モンゴルの会社社長(例の彼だ)から『田村勝男』という男を探すよう頼まれ、切れそうな細い糸を手繰り寄せ、ようやく事ここに至ったとの事である。恐るべきは、モンゴル人の執念である。

 

T氏は、私が以前S先生と共同研究を行った論文をインターネットで検索し、連絡を取ってきたのだという。不幸にして、この論文が掲載されてからT氏が私の元を探すまでの間に、会社を移転していた為、直接私の連絡先を確認する術が無かったのだ。そんな状況で、S先生へ藁にも縋る思いで連絡をしてきたのだという。

 

そんな話を聞かされては、彼の話を無碍にするわけにはいかなくなるではないか。話だけは聞きましょう、と答える他無かった。

 

しばらくして、T氏は当社へサンプルを持参して来社した。T氏は私より年上で、以前は某社で社長をしていたが、定年退職後、縁あってモンゴルと出会い、残りの人生をモンゴルに捧げると誓った男である。

 

改めてモンゴル甘草について頼まれたものの、私は困ったものだと頭を悩ませた。これに先立つ2003年6月、私は脳溢血で倒れてしまい、一命は取り留めたものの、その後遺症で左半身に麻痺があった為だ。自由の利かないこの体で、如何ほど力になれるだろうか。そもそも、この甘草が具体的な仕事になるまで、私自身が生きている自信が、生きていても元気である自信が無かった。私の見立てでは、恐らく五年は掛かるだろう。

 

正直、私は回答を渋っていた。改めて目の前にいるT氏を見る。私よりも年上の人間が、自分の人生を掛けて挑もうとしている。その気持ちに、応えてやりたいと言う気持ちが沸々とわいてくる。

 

ふと横を見れば、数年前に大学を卒業し、私の仕事を手伝っている長男、次男が居た。これまで三十年、私は一人で仕事をしてきたが、今はそうではない。もしかしたら出来るのかもしれない、いや、やらねばなるまい。きっとこれが私の最後の仕事になる。今は頼りない息子達だが、この仕事を通じて成長するだろう。そうすれば、私に何かがあっても、きっとやっていける。

 

私は、決意した。この甘草で仕事をせねばならない。

 

「分かりました、Tさん。考えてみましょう」

「本当ですか」

「えぇ。お互い60過ぎの身ですが、頑張っていきましょう」

T氏にもう一度モンゴルの甘草について、本気で調べる事を約束した。

 

動かない体に鞭打って方々を当たっていく中で、国立の研究所で薬用植物の研究をされている方と出会い、このモンゴル甘草は一般には使えないのかと相談する機会を得た。彼は快くこの相談に応じてくれ、成分分析までしてくれた。結果が出るまではしばらく掛かったが、届いた報告を見て、私の心の中に色々な気持ちが去来していた。

 

報告にはこうあった。「成分も十分で、生薬として使えるだけの品物である」。

まず、私は怒った。以前相談した生薬会社は、使い物にならないと言っていたではないか!長い付き合いがあるのに、そんな態度があるのか!

 

次に私は喜んだ。しかしこれで本格的に販売について考えていける!モンゴルにも、T氏にも良いニュースになるだろう!

そして私は憂いた。これで本格的に動き出さなければならなくなったな、と。