ー甘草をより科学的にとらえられないか?ー
東北大薬学部において生薬を専門にされていたK先生を知っていたので、早速この甘草の使い道について相談しに行く事にした。一通り説明し、どこに使ったら良いか相談をすると、先生は少し考えた後、軽い口調で言った。
「田村さん、畜産に使ったら良いんじゃない?」
本当に、他人事のような、軽い口調であった。が、勿論それはこちらの事を慮っての事で、K先生は私が帯広畜産大出身である事を知っていたので、きっとこんな事を言ったのだと思う。
私自身、大学卒業以来、畜産とは離れた仕事をしていたが、大学の卒業生との繋がりはまだ残っており、聞くあては幾つかあった。その一つが、冒頭のS牧場のH氏であり、結果は驚くようなものであったのだ。
H氏の話を受け、北海道からの帰りの船の中で、もっと獣医の立場から何かできないかと思い、一人の獣医の事を思い出していた。長曽我部先生だ。彼は同じ大学の出身で私より六つほど年上で70近くであったが、まだまだ現役の臨床獣医として現場を持っている。彼なら、現場で甘草の試験が出来るのではないか、と考えたのだ。
早速連絡を取り、甘草の資料を持って依頼に上がる。
「ご無沙汰してます、先輩」
「おう、入れ入れ」
長曽我部先生という人物は、気取らない人物であった。また、50年近く臨床現場に経ち、彼の左手は『ゴッドハンド』と呼ばれるほど、直腸検査で正確さを誇っていた。職人気質の人間であり、自分の持つ技術に自信を持ちながらも、新しい事に対して理解のある人物だ。そして農家の事をよく考えている。『何が農家にとって為になる事か?』という事に主眼を置き、常に取り組みを続けている方だ。
(※直腸検査…獣医の基本的な診療の一つで、肛門から手を直接入れ、腸壁越しに子宮の状態を触診で確認する方法)
「先生、今度私の方で甘草という植物を扱う事になりまして」
「ほうほう」
「北海道の馬に使った際には繁殖に効果があったようなんです」
少しだけ、先生が反応した。
「とりあえず、資料を読んでみてください」
先輩後輩とはいえ、それほど深い付き合いをしてきた訳ではない。無闇に人を追い払ったりはするまいが、さてどうなるであろうか。長曽我部さんが資料を読んでいる間、不安もあったが、彼は読み終えて
「うん、現場で使ってみるよ」
と、いとも簡単に答えた。あまりの簡単さに、若干拍子抜けしながらも、試験の内容について相談をしていく。馬の事をベースに、牛での試験を組み立てていく。現場の感覚に基づいている為、話が何とも早い。
「主成分がステロイド骨格で、甘草自体女性ホルモン様作用があるんでしょ?じゃあ繁殖で使ってみるよ。いやぁ、困ってる奴がごまんといるのよ」
甘草は、繁殖障害牛の改善に使う事に決まった。
繁殖障害とは、読んで字の如し、繁殖に障害がある例である。畜産においては、必ず子畜が取れなければ仕事が出来ない。仔牛の生産、牛乳の生産…ところが現在、この子畜が取れないという事が日本のみならず、世界中の畜産現場で起こっているのだ。日本においては種付け成功率は低下傾向が続いており、現在も尚下がり続けている。この問題の最大のネックは、『原因が特定出来ない』事にあるといえる。栄養が足りない、体調が悪い等はまだ分かりやすいが、健康的で、問題なく種付けが出来るはずなのに何度やっても種が付かない例(症例名:リピ-トブリーダー)や卵巣機能低下(病名:卵巣静止)などがごろごろと居るのだ。また、牛に問題がある場合と、管理に問題がある場合、両方がタイミング悪く重なる場合などもあり、問題を複雑化している。
受胎したとして、あまりに日数が掛かりすぎてしまっては経営が成り立たなくなってしまう。受胎成績の低下に伴い、一回の出産に要する日数は延長してきている。当然、一頭の仔牛で得られる利益は限られているので、農家の収益は目減りしてしまう。あまりに成績が悪い個体は、採算が合わない為廃牛となる。
参考:出産回数が3年間で差がついている。
現在様々な方法で改善についての取り組みが行われているが、原因が多岐に渡る為か、決定打に欠けているのが現状である。もしこれが簡単に改善すると言う事であれば、それは大ニュースなのである。
この話を持っていった段階で、まさかここまでの大変な問題であるという意識は無く、困った人が助かれば、という程度の認識であった。
それから、長曽我部先生にはずっと試験をしてもらった。最初の内は
「あぁ、うん、何かいいみたいだね」
といった調子であったが、試験を重ねていく内に
「甘草無くなったから、もっともらえる?」
「いや~、あれあると自信持って種付けできるわ」
はたまた
「甘草は他にも使い道がありそうだわ。この前こんな牛がいてさ…」
ついには
「田村君、甘草を止めるなよ。切らさないようにしてくれ」
と言うまでになった。冗談めかして話してはいるが、表情からは本気である事は簡単に読みとれた。それほどまでに自信がついてきたようである。長曽我部先生が自信を付けるほどに、私も自信を持って甘草を繁殖障害に使える、と言えるようにまでなった。
先生は色々と試験をする中で、繁殖障害以外にも実に様々な事を試験した。乳汁中に使った記憶のない抗生物質が出てしまう乳牛に甘草を給与し、三日目には消えたという話、甘草給与を同時に始め、発情を揃えてみた話、それを応用して一週間ずつずらして給与を開始し、一週間毎に発情・種付けを行った話など。
「田村君、俺は甘草を与えると何故こうなるのかはさっぱり分からない。だが、こうなるんだ。田村君、俺は君の為にありもしない話をして喜ばせるような男じゃないぞ」
何度も先生は言った。それは私にもよく分かっていた。適当に効いた、等と嘘を言う人ではない。しかし効いた物に関してはしっかりと効いたと言う、事実に対して誠実な人である。この言葉は、私を奮い立たせ、改めて甘草をきちんとした仕事にしなくてはならないという気持ちにさせた。
甘草をより科学的にとらえられないか?私の元で働いている息子の提案もあり、東北大農学部のS先生の所へ赴く。彼とは以前の職場からの知己であり、共同で試験を行ったりもしてきた、ツーカーの仲である。
彼に甘草の話をした所、彼も興味を持ち、早速試験を行う手筈を整えてくれた。試験の内容は免疫に関する物。甘草を給与する事によって異物に対してどのような免疫が働くのか、という物であったが、結果として甘草の抗炎症作用が認められ、またIgA抗体が通常よりも早く高まり、しかも早く収まるという物であった。鈴木先生もこの動きには興味を持ち、この後も今に至るまで甘草の試験を行い続けている。
(※IgA抗体…粘膜免疫に関わる抗体。炎症性免疫の抗体はIgG抗体で、拮抗すると言われている)
図:東北大試験。異物を打ってからの免疫反応を観察。IgA抗体産生が甘草給与群(▲)で早く高まり、56日目には下がっている。
「先生、繁殖成績はどんな風になってますかね」私はある時、長曽我部先生に聞いてみた。気付けば甘草の試験を開始してから、三年が経っていた。それまでは、先生の話を方々で話すのみであったが、データとしてきちんと蓄積し、具体的な数字として把握しておきたかったからだ。先生は「うーん、七割ぐらいは付いたんじゃないか?」「七割」
「俺の体感ではそんな感じだと思う」
「何か記録ってありますか?」
「記録…カルテがあるから、今度君が来るまでにリストアップしておくよ」
後日先生の所へ息子と共に伺い、リストを書き写す。淡々と読み上げる声と息子が写す音がしばらく続く。五分、いや十分くらい掛かったように感じた。
「これで全部。どう、何件くらいになった?」
「104件です」
「104件?!そんなにやってたかなぁ…」
「先生、この成績、間違いないですよね」
私は、息子が書き写した表を見て、我が目を疑っていた。
「あぁ、カルテから起こしてるから間違いない。何パーセントくらいになった?」
「AI(人工授精)二回までで、ほぼ100%です」
答えた息子の声は、少し震えていたかもしれない。場の空気も、そのあまりに信じられない成績に、固まっていた。
先生は自分のリストを見直し、それが間違いではない事を確認してからこう言った。 「出した俺が言うのもなんだけど、この成績、きっと誰に見せても誰も信じないよ。俺が出したんじゃなかったら、俺も信じないもん」
私は、思わず笑ってしまった。これはとんでもない事になってしまった。
このデータは、以後の私の甘草に対する確信の礎となる。そして、このデータの好成績が為に、これからまだまだ苦労させられる羽目になるのである。
(※AI…人工授精の略。牛の場合、自然交配はほとんどなく、獣医または人工授精師が発情した雌牛に精液を注入するのが一般的である)