田村薬草農場グループ

わたしたちの歩み

2024年12月18日

第5章 『別離と出会い』

「彼らの遺志に報いる事のみである。前へ、前へ」

K先生とお会いする前。

長男が、空港に着いた長曽我部先生を車で迎えに行き、酪農学園大へ向かう道中の事である。先生が突然切り出した。

「俺さぁ。この前検査受けたら、膵臓ガンだったんだ」

長男は、後部座席に座った長曽我部先生の言葉の衝撃に、思わず運転操作ミスを起こし、事故を起こす所だった。

膵臓ガン。先生の口調は、あくまで淡々とした物であったが、その言葉が意味する所は、もう寿命が長くないという事だった。

『ガンの王様』とも称される膵臓ガンは、末期になるまで発見が困難で、見つかった時点で手遅れとなってしまう事が非常に多い。この話が出る直前、アップルコンピュータのスティーブ・ジョブス氏も同じ病気であった。また、長男はたまたまこの前日、膵臓ガンで亡くなった方の、亡くなるまでの経緯を冷静に記したブログを読んでいた。それ故、先生の未来がリアルに想像できてしまったのだ。

「…」

車内は終始無言であった。先生の夏バテだと思っていた体調不良は、今にしてみれば恐らくガンだった。

そんな状況にあっても、長曽我部先生は私に協力してくれている。何とも嬉しくもあり、申し訳なくもあり、心中複雑であった。

 

その話を受けた僅か一ヶ月後、私の元に長曽我部先生の訃報が届く。膵臓ガンと分かってから、あっという間の事だった。その連絡を受けた時の気持ちは、筆舌に尽くしがたい。

痛恨の極みであった。生前、何度も先生は甘草の行く末を気にされていた。ご家族に聞けば、亡くなる直前まで気にされていたそうだ。私は、なるべく急いで仕事として確立し、先生を安心させたいと思っていたが、それも叶わぬ事となってしまった。

K先生、長曽我部先生。甘草の開発の端緒を開いてくれた人たちはもう居ない。私に出来る事と言えば、意地でも甘草を普及させ、彼らの遺志に報いる事のみである。前へ、前へ。

 

この頃、東北大のS先生から一人の獣医を紹介される。K先生というこの先生は、馬を主に診ている臨床獣医の方で、S先生の研究の一つである甘草給与によって免疫にどのような影響があるか、についての試験を馬で行うという事であった。

結果として、免疫の中でも食細胞、白血球について、どの馬においても一定程度働き、必要な分だけ働いたら治まっていく傾向が見られた。甘草を給与する事で、特に免疫の最初の働きを示す食細胞などを元気にしておき、働きやすい環境を作る。その結果として、病気をそもそも起こしにくい、元気な身体作りが出来るのでは?この可能性を強く感じた試験となった。(下図)

 

図:甘草免疫試験(一部)。11/9時点で対照区よりも個体差が小さいのが分かる。

 

これに興味を持ってくれたK先生、馬の現場でもやってみたいと提案を頂き、私もそれの支援を約束した。

その半年後には、私自身も信じられないような結果をもたらす事となる。

「K先生、その後甘草はどうですか」

「田村さん、よく分からないけど、すごい事になったよ」

この研究を始めてから、何度も聞く言葉である。

「山形の乗馬クラブで、餌は食うんだけどちっとも太らない、ついに立てなくなっちゃった馬がいて、手の付けようがなかったんだ。心臓には雑音が入ってて、恐らく僧坊弁閉塞不全を起こしていた。見立てでは後数日で死ぬ所だったんで、通常治療としてステロイドをやりながら、甘草をやったんだ。そしたら、みるみる元気になったんだよ」

私は驚いた。そんな働き、聞いた事がない。

「一体何が起こったんですかね?甘草が効いたんでしょうか」

「いや、何でそうなったのか分からないし、甘草のお陰か分かりませんが、とにかく治りました」

甘草にはまだまだ分からない力がある。私はその底の深さに改めて驚かされると同時に、その可能性の大きさに、胸を躍らせた。

K先生には継続して試験して頂き、甘草の可能性を広げてもらう事にした。

 

図:僧坊弁閉塞不全を疑われた馬。肋が浮き出てる程痩せてしまっていたが、甘草給与後肉付きが戻り始め、今では元気に活躍している。