田村薬草農場グループ

わたしたちの歩み

2024年12月18日

第7章 『震災』

震災の写真を含みます。ご注意下さい。

そして2011年、3月11日が来た。東日本大震災である。

最早語るべくもないが、私の住む新地町も、甚大な被害を受けた。太平洋岸の小さな町である新地町は、津波の被害によって多くの方が亡くなり、また家を失った。私は不幸中の幸いと言うべきか、山手の方に住んでいた為に難を逃れた。また、直接の知人が亡くなる事はなく、私自身も多少の不便な生活を強いられた程度で済んだが、私の町を含め、日本全体は経済も何もあった物ではない。私の計画など、あって無きが如しであった。

新地町役場から見た海岸線

新地駅。電車がひしゃげ、駅舎も全て流されてしまった

 

襲い来る津波。(提供:新地町役場)

震災の被害も落ち着いた5月頃、東北大・S先生から一つの提案を受ける。大きな会社と組んでみてはどうか。そして紹介されたのが日本全薬工業(以下ゼノアック)という、日本でも屈指の獣医薬メーカーである。

この時私は甘草普及に当たって、一つ大きな悩みを抱えていた。それは、嗜好性である。当時は甘草の根を粉砕した製品、原末(細かい粉末状)を扱っていたが、牛によって食べたり食べなかったりがまちまちであった。加えて風で舞い上がってしまう欠点を持っており、作業員が給与を嫌がるケースも聞いていた。それ故普及が思ったほど捗らず、大変苦労していたのだ。

原末を扱う事に理由がなかったわけではない。これまでも加工した形を考えた事もあるが、その加工品で試験をして結果が出た場合、確実に指摘されるのが「混ぜた物が良かった可能性がある」という点である。その為に今まで甘草粉末でずっと試験せざるを得なかった。

しかしもう十分なのかもしれない。加工品で勝負を賭けてみたい。私はS先生の提案を受ける事にした。

 

その後すぐ、ゼノアックにて開発部の方々と初めて面談する。正直に言って、今までと同じように、私が甘草の事を一生懸命話しても全てが伝わっているようには感じられなかった。しかし甘草の加工品に関して、ペレットの提案を受け、それを依頼する。その後一週間と経たずペレットのサンプルを送ってきたのだ。このフットワークの早さは良い。時間が掛かってもきちんと仕事にしていくべきなのだろう。私は直感していた。