さて、冷静に考えても、長曽我部先生の不在は甘草研究にとって大きな穴となっていた。私の強みであった臨床研究を進める事が難しくなっていたのだ。今手元にある武器だけでは心許ない。何かしなければ。そうは思っても、簡単に事態を改善できる手段などはない。
ふと、大学時代に懇意にさせてもらっていた先輩で、H氏の事を思い出す。彼は昔、北海道で町長を務めていた事もあり、顔が広い。帯広畜産大とも繋がりを持っているかもしれない。細い糸を手繰り寄せるような気持ちで連絡をする。
「Hさん、お久しぶりです。田村です」
「おう、久しぶりだね。どうしたんだ」
「実は…」
これまでの経緯をざっくりと説明し、帯広畜産大(以下、帯畜大)に伝手はあるだろうか、もしあれば取り次いでもらえないだろうかと話すと、
「あぁ、いいよ。そうだな、あの人がいいだろう」
二つ返事で引き受けてくれた。実に北海道人らしい気っ風である。今思い返しても、私は今日ここに至るまで、つくづく人に助けられ続けているように感じる。このH氏はもちろん、長曽我部先生、K先生、O君など、実に快く受け入れてくれる。また一人、甘草開発において頭の上がらない方が増えた。
H氏から紹介されたのは、帯畜大では知らぬ者のないO・名誉教授だった。齢80を過ぎた高齢な先生であるが、今でも研究会を主催し、後進を育て続けている方だ。
北海道へ出張し、実際にお会いしてみると、その矍鑠たる様、見ているこちらの背筋がピッと伸びるような方であり、しかし実に気さくに接してくださった。私のこれまでの経緯を説明し、甘草の研究をしたいと伝えると、すぐに何人かの研究者を紹介して頂いた。
「田村君、変わった事をしているね」
朗らかに笑いながら、先生が言う。
「でもね、私も牛の問題について、薬に頼らない方法がず~っと欲しかったんだ。今までも色々とやってきたけど、決定的な物はなかった。良い物が出てきても、一時的なブームで終わってしまったりするのを見てるのは何とも悲しい。甘草が一時的な物で終わらないよう、頑張って欲しい」
O先生には、大変な尽力を頂いた。帯畜大の研究者はもちろん、在野の臨床獣医、研究者に至るまで、広く声を掛けて頂いた。中には私のデータを見て、「まるで魔法の薬だ」とも笑われたりもしたが、とにかく試験自体の厚みは増していった。
帯畜大では、乳牛の産後回復の際に甘草を給与する試験を行った。頭数の関係もあり統計的な差は難しかったが、体重の回復傾向は良好であり、次回のAIでの受胎成績も良好であった。
図:帯畜大試験結果(一部) 分娩後42日~55日の間で甘草給与。 分娩後体重回復に好影響、BCS(ボディコンディションスコア)も良好に推移。 受胎もAI二回目までに全頭成功。(5頭) |
(分娩後体重回復状況とBCS推移状況。回復傾向が有意に良好。) |
人間の世界でもそうだが、牛の世界でも産後の肥立ちというのは非常に重要である。母牛は特に巨大な子牛を体内に抱えている為、妊娠末期になると胃袋が圧迫され、食欲が落ちやすい。子牛にも栄養を供給せねばならないから、当然母牛の身体を削っていく事になる。出産後は特に痩せてしまうのは自明の理なのである。
大事なのは出産後、どれだけ早く回復できるか、と言う事になってくるが、高栄養価の物をやたらと大量給与すると逆に問題が起こるからそれはよろしくない。適切な飼養管理が求められるのである。
甘草を給与する事で、この点が簡素にクリアできる可能性が示唆されたのである。
また、帯広ではもう一人大きな人物と出会う事になる。M先生だ。帯広畜産大の元教授であった人だが、前職は岩手大学教授であり、東北にも顔の広い先生である。この方にも後々大きな力になってもらう事になる。